八郷のメモ
[ 2004年05月09日 橋本明子 ]
1月20、21日は理事のみなさま、提携米ネットワーク総会のため、
八郷まではるばるおいでくださってありがとうございました。じゅうぶんにご案内する時間がなかったので、このメモで、
八郷のイメージをふくらませてください。
八郷は首都圏から直線距離で80キロ、三方を筑波山塊にかこまれ、残る一方の石岡方面が開けている地形で、典型的な中山間地帯の農村です。
丘陵地には、雑穀、果物、野菜などが栽培され、低地は水稲です。豚、鶏などの畜産もさかんで、地理的に首都圏に近いメリットを活かして、
出荷先はほとんどが首都圏です。冬も雪が降らない地帯で、周年栽培ができるのも有利な点です。
さて、八郷では有機農業に'70年代はじめから取り組みました。はじめのひとりがわたしなのですが、当時は東京にすんでいて、
アレルギー性の疾患に悩む娘に健康なたべものを与えたかったのでした。女性同士で勉強会をし、
やがて会を作って健康な農作物を作っている生産者さがしをしました。さがしても当時は限界があり、ならばじぶんたちで作ろうと決意して、
八郷に消費者自給農場をたちあげたのが、'74年でした。その活動が八郷全体に影響し、
八郷や周辺部で有機農業を手がける人々やグループがふえていったのも、事実です。
農場の専従スタッフもやがて八郷で土地探しをし、独立して有機農業をはじめ、JAも'76年には卵の産直をはじめました。
有機農業にいそしむ人がいると聞いてたくさんの訪問者研修者が訪れるようになり、現在は、若いひとたちがつてを求めて、
八郷で新しく有機農業に生きる道をえらんでいます。JAが有機部会を作って、若い人たちの生産物をうけいれてくれるようになったことも、
大きな力になりました。2年前には同じように自給自立をめざすスワラジ学園が開園、1年制ですので、
はやくも20人の卒業生をおくりだしています。
ささやかですが、私自身も日本一小さな有機農家になり、雑穀までは無理ですが、
野菜類を少しずつ作って30世帯の消費者におくりとどけています。30年を経て、はじめに願った“八郷を有機農業の里に”
が手応えをもってきたようにかんじます。
そのようなところへ持ち上がったのが、遺伝子組み換え大豆がおなじ県内谷和原村で、バイオ作物懇話会の手によってつくられており、
今年はすでに開花して1週間たっていたこと、あろうことか、八郷自慢の納豆小粒大豆や丹波黒豆も比較して植えられていたことが判明したことです。
その後の経過はすでにご存じですのではぶきますが、(ねもはも18号参照)八郷JAの主力産品、小粒納豆の危機、
わたしどものもつおおくの在来品種の危機と、生産者が中心となって立ち上がったことが特徴でした。ちなみにJAの大豆畑だけでも、
八郷に200ヘクタールが作付けされており、大豆畑トラスト、有機農家作付けも含めますと、畑作地帯にふさわしい規模となります。
こうした状況のなか、茨城有機農研の総会を八郷で行うことになりましたが、昨秋の出来事から、今年も引き続きがんばっていこうね、となり、
では遺伝子組み換え問題で生産者としていちばん問題となる交雑についての専門家のお話を聞こうとなり、生井先生をお呼びすることにしました。
そうなった段階で、有機農研だけでお話をきくのはもったいない、
せっかく遺伝子組み換えの茨城ネットワークが立ち上がったのだからみんなにも呼び掛けようと、2月1日八郷で午前、
有機農研の総会と種の交換会をやり、午後、遺伝子組み換えの勉強会をおこないました。午前から参加者はおおかったのですが、午後はさらに増えて、
130名、会場いっぱいの参加者で、準備した資料が不足しました。
これだけ多くの参加者があったということで、八郷をはじめ茨城ネットワークはたいへん力づけられました。
これからもがんばっていけるエネルギーをもらうことができました。
また、20日夜の提携米理事会交流会に参加してくださった駒村さんは、
筑波山から流れ落ちる水を水車で受けての杉線香作りに100年の歴史をもち、参加は無理でしたが高倉さんは古代米みとらずを育てて、
注連飾りを作り、わたしどもの運動を支援してくださっています。
隣町千代田の低湿地で苦労して稲作を続けてこられた竹村さんを理事のみなさまにご紹介でき、
いちごのハウスとたんぼを見学させてもらえたのもうれしいことでした。